二輪用エンジンオイルを学ぼう
この記事では油種別のオイル解説第一弾として、二輪車用エンジンオイルを取り上げます。二輪車用4サイクルガソリンエンジンオイルとも呼ばれますね。Web上の記事をざっとみると、この分野には、さまざまなマーケットクレームの表現がありますが、ここではできるだけ基礎的な内容をとりあげます。
またトレンドやオイルと性能の関係の説明を行います。処方技術とマーケットクレームの関係の理解がゆるく深まればよいと思います。
二輪車エンジンオイルの役割と特徴
二輪車用4サイクルガソリンエンジンオイルは一般にMotor Cycle Engine Oilと呼ばれます。MCEOとかMCOと呼称されますが、本稿ではMCEOとしましょう。MCEOの特徴にはなにが挙げられるでしょうか。
二輪車におけるエンジンオイルの役割
まずMCEOには当然エンジンオイルとして成立することが求められます。一般的にエンジンオイルには役割として潤滑、冷却、密封・緩衝、洗浄、防錆といった五要素が求められます。
MCEOの特徴
MCEOに求められるところでは、エンジンの潤滑に起因する要素と、ドライブラインの潤滑という要素を含みます。そのためMCEOを設計するためには他のエンジンオイルとは異なる規格構造を理解する必要があります。
特にドライブライン向けの性能には、クラッチとギアの潤滑が必要です。
たとえば、ウェットサンプの方式をとるエンジンでは、ミッションやクラッチの潤滑油としてエンジンオイルを使用することが多いです。湿式クラッチでエンジンオイルで潤滑する場合、間違った規格のエンジンオイルや、4輪車用のエンジンオイルを使用することでクラッチが滑ってしまうリスクがあり、非常に危険です。この場合、後述するJASO MA規格のMCEOが指定されるでしょう。逆に大型車であっても乾式クラッチであればMB規格とMCEOも使用可能でしょう。車両の指定油を注意深く確認する必要があるわけです。
つぎにエンジンがドライバーの体に、かなり近い場所に位置することも、他のエンジンオイルと異なる要求仕様を構成します。他のエンジンオイルにはNVH(Noise Vibration Harshness)に対しての要求度があまり目立ちませんが、MCEOではドライビングの快適性をサポートするために低粘度化を行いにくいという特徴があります。
二輪車エンジンオイルの規格と要求性能
MCEOの規格構造は三階建てになっているといいでしょう。まずはエンジンオイルとしての要求性能を満たすためのAPI規格と粘度特性がSAEJ300を満たす必要があります。つぎにJASO T903-2023と呼ばれる、いわゆるJASO規格が求められます。そして最後にマーケターの設計思想がのります。オイルマーケターやOEMの設計思想がここで登場するわけです。
JASO規格 「T903」
さて、ここではJASO T903-2023について解説したいと思います。MCEOの規格構造はほぼこの規格によって定義されているといっても過言ではないからです。
JASO T903-2023は、いわゆるJASO規格として、二輪車用4サイクルエンジンに適合するエンジンオイル- 本稿ではMCEOと呼んでいます-の品質と適合性を評価するために、自動車技術会の二輪部会によって設けられました。[1]
詳細はJASOエンジンオイル油規格普及促進協議会によって紹介されていますので、一次情報として参照ください。
この規格の趣旨としては、MCEOを四輪用ガソリンエンジンオイルと区別し、適切な使用を促すことです。一般的に四輪用のエンジンオイルを二輪に使用した場合のリスクには、
– クラッチの滑りの発生
– 低粘度化や触媒対策のための添加剤調整の結果としてギア耐久性低下
が挙げられます。
JASO T903; 2023を満足するオイルは、性能分類として、MA,MA1,MA2,MBのいずれかを記載することができます。以下がイメージです。[2] オイル缶をよくみると、どこかにMAやMA2と記載があると思います。
さて、このMAからMBまでの表示が意味するところは何でしょうか。簡単にいうとクラッチの滑り度合です。
試験法名はJASOT903;2023(付属書A)といいます。この試験は何をしているのかというと、SAE.No2と呼ばれるトランスミッションオイルのクラッチ特性評価のために試験装置を利用して、JASO指定の基準油とクラッチプレートを使用することにより、MCEOのクラッチの摩擦係数(滑りやすさ)を評価しています。
滑りやすさの指標として動摩擦特性指数と静摩擦特性指数、そして制動時間指数の三つが用いられ、もっとも滑りにくいものがMA2,つぎはMA1,そしてMBの順になります。MAはMA1とMA2を包含する分類となっているため、基本的にオイルマーケターは得られた指数を基に上の4つのどれかを缶に表示しています。
規格の改正と趣旨
JASO T903-2023は、最後に年の記載があるとおり、定期的にアップデートされています。直近の2023のアップデートの趣旨は次のとおりでした。
”2023年の改正では2020年に改正されたAPI規格とT903 2016オンファイル届出実績を反映した対象規格の変更、大気汚染など環境負荷を低減させるための物理化学性状に関する規格値の変更、供給性の問題から摩擦特性試験に用いる比較標準油とフリクションプレート摩擦材の変更および変更に伴う分類閾値の見直しを行った”[4]
とあります。
少し嚙み砕きますと、
四輪用の4サイクルガソリンエンジンオイルとの関係
四輪用エンジンオイルではAPI SP, ILSAC GF-6の導入により、0W-16の導入やや省燃費性、触媒披毒の抑制といったオイルの高性能化が図られている一方で、MCEOではギア耐久性などの観点で保守的にならざるをえず、省燃費性の観点で、4輪用のエンジンオイルのトレンドや技術からビハインドしがちです。この綱引きの中で、世界のトレンドをできるだけJASO規格の中に取り入れたいわけです。
試験に必要な基準油やプレートの供給性
JASO T903;2016には潤滑油協会がJAFREと呼ばれる基準油を供給していますが、添加剤などの供給性の観点から、定期的に基準油もアップデートする必要があります。今回も、より時代にあわせた基準油への変更がありました。クラッチプレートも同様ですね。当然基準となる材料が変わるため、分類の基準値も調整が行われたわけです。
さて、こういった課題感を反映した、最新JASO規格 JASO T903;2023の改正ポイントは、どのようなものでしょうか。大きく3点です。
1.クレーム可能なAPI Sカテゴリーの整理
2016年版まで認められていたILSAC,ACEA,そしてAPI SGとSHを廃止しました。代わりに、SNplusとSPが追加されました。
2.物理化学性状の変更、リン量と蒸発性
リン量
リン量上限が0.12から0.10に引き下げされました。2023年改正ではリン量の範囲が0.08から0.10になります。これは三元触媒に対する触媒披毒抑制のためです。下限である0.08%はギア耐久性保証の観点から変更なしです。
エンジンオイル蒸発性
エンジンオイル蒸発性、NOACK値は20%上限から15%上限と引き下げされました。
3.クラッチ特性
上述のとおりです。
JASO T903 2023 Motorcycle Specification Is HereThe JASO T903:2023 specification for four-stroke motorcycle o360.lubrizol.com
さて、この章では、MCEOを規定する規格の中で最も重要であるJASO規格-JASO T903;2023の紹介をしました。MCEOとして二輪車に求められる特性を継承しながらも、業界全体に求められるCO2排出量の削減や触媒披毒の抑制というトレンドも取り入れるという課題感が分かってもらえたでしょうか。
トレンド
さて、規格の章でも述べましたが、MCEOを取り巻くトレンドとはどのようなものがあるでしょうか。まずはドライバーとなる規制環境に触れるとともに、本邦そして海外におけるMCEOの動向について紹介します。
世界的にみて排出ガス規制が敷かれており、本邦では平成30年規制と呼ばれるレギュレーションにより平成18年から今年末までにPM規制、PN規制、Real Driving Cycleの導入を進めてきました。国外ではEURO6dがありますが、さらに厳しい規制であるEURO7の導入も予定されています。二輪車市場で重要なインド、東南アジアや中国もEUROXをモデルとした規制を導入する傾向にあるため、これらの規制内容は重要です[6]
エンジンオイルとの関係性でいえば、車両の省燃費性をアシストする、粘度特性や添加剤技術はもちろん、排ガス規制への対応をサポートするための触媒への適合性などが挙げられます。MCEOも例外ではなく業界としては、上述のとおりこういった規制に対応するためにJASO規格(JASO T903)の改正を進めてきました。
How Tighter Emissions Limits are Impacting Motorcycle OilTighter emissions standards around the world has led to motor360.lubrizol.com
さて、こういった規制の流れの中で、MCEOのトレンドを粘度グレードと性能分類の観点でレビューしてみましょう。
日本
MA2が最もおおく、MAもふくめると、9割以上のオイルがMAに属します。
粘度グレードは10W-30が3割程度、10W-40が4割程度となっています。
東南アジア
東南アジアと一口に言っても各国でまったく様相が異なります。モペット、スクーターと呼ばれる車両の普及率が多いので、MBの割合が他の地域と比較して多くなるというのが一つの特徴です。ただし、MAの割合の方が全体として多いといえるでしょう。粘度グレードはインドネシアやタイにおいては10W-30が日本より普及しています。ベトナムやフィリピン、マレーシアにおいては40番以上の普及率が高いです。
東アジア
40番のプレゼンスが大きいです。韓国では10W-40の割合が極めて大きく、中国では15W-40が目立ちます。台湾で日本と似ています。JASOの性能分類では台湾のMB率が2割程度と大きいですが、基本的にはMAが8割ー9割を占めています。
オイルと性能の関係
エンジンの運転環境は?
二輪用のガソリンエンジンオイル、MCEOの製品名を見てみますと、”Racing”,”Sports”といった単語が入った製品をよく目にするのではないでしょうか。これらの単語から想起されるのは”レース環境は過酷なので、レース向けに開発されたオイルは日常で使用する二輪車においては良い性能を発揮する”ということなのでしょうか。すこしエンジンの運転環境を比較してみましょう。
これらを見て明らかですが、実は自然空冷で一般道を走行するような、日常使いの車両のほうが、エンジンの運転環境がエンジンオイルにとって厳しいということがわかります。東南アジアの渋滞を思い起こすと、これらの地域の二輪車や日常の足として、とれも頑張っていることがわかりますね。
オイルの温度を見てみても、一般的に空冷エンジンでは110℃以上、渋滞時には150℃以上にもなります。このことを考えると、実は、皆さんが日常使いする二輪車のほうが、優れた酸化安定性や蒸発特性を持つエンジンオイルが求められることになります。
出力
つぎに出力などにオイルは関係するのでしょうか。2008年の論文と少し古いですが、エンジンオイルの粘度と各エンジン回転数あたりの出力kWを評価した論文では、20W-50と比較して、10W-30に低粘度化することにより全体で2.6%程度の高出力化が可能となったという報告があります。[8]
クラッチフリクション
クラッチフリクションに関しては、低摩擦オイルはクラッチが滑ってしまって危険です。四輪用エンジンオイルで使用されるMo系の摩擦調整剤を入れた場合、クラッチが滑ってしまうことによって、同じ車両速度を得るためのエンジン回数がずれている(低摩擦なオイルで高いエンジン回転数が必要になっている。)ことがわかります。この特性による市場トラブルを防ぐためにJASO規格が導入されているのですね。
騒音、NVH
騒音、NVHにおよぼすエンジンオイルの影響はどうでしょうか。粘度グレードが高いほど騒音や異音を緩和でき、快適性が増すことがわかっていますが、出光興産などは粘度指数向上剤や基油の選択によってエンジンの騒音が緩和することを報告しています。[12]
オイル消費
オイル消費はエンジンオイルの交換頻度(ODI)を考える上で、非常に重要な要素です。エンジンオイルの蒸発性をどのように測定するかが重要になり、多くの議論がありますが、ここではNOACKという標準的なエンジンオイルの測定方法による比較を見てみましょう。下の図ではNOACK値の大小、つまり蒸発しやすいオイルと、しにくいオイルを用意してエンジンを運転したときのオイルの蒸発性を比較しています。基本的にNOACK値が高いオイルの方が、エンジン運転時のオイル消費も大きい傾向にあります。
一般的に、鉱物油よりも、合成油系のベースオイルの方がNOACK値が低い傾向にありますので、フルシンセティックと呼ばれるオイルが高性能と呼ばれる証左といえるのではないでしょうか。
省燃費性と粘度指数
MCEOにおける粘度指数はどのように理解すればよいでしょうか。従来二輪車の油温が高く推移する傾向があり、100℃以下のような低温での粘度の低さ、つまり粘度指数が高いことというのは、四輪車に比べて重視されてきませんでした。一方、近年の日本自動車工業会での議論を見てみると、アイドリングストップの普及によりコールドエンジンスタートの重要性が高まっています。これは低油温下における粘度の低さと、高温下における油膜の保持の両立が求められるということであり、四輪用エンジンオイルと同様に高粘度指数オイルへの注目が高まる可能性がありますね。
[1] 二輪自動車-4サイクルガソリンエンジン油(JASO T903;2023)の規格利用マニュアル 令和5年5月
[2] 二輪自動車-4サイクルガソリンエンジン油(JASO T903;2023)の規格利用マニュアル 令和5年5月, p22
[3]二輪自動車-4サイクルガソリンエンジン油(JASO T903;2023)の規格利用マニュアル 令和5年5月, p5
[4]二輪自動車-4サイクルガソリンエンジン油(JASO T903;2023)の規格利用マニュアル 令和5年5月, p6
[5]Lubrizol 360 https://360.lubrizol.com/2023/JASO-T903-2023-Motorcycle-Specification-Is-Here
[6]日経Automotive, 次世代自動車2022,p286
[7]日経Automotive, 次世代自動車2024,p286
[8] SAE 2008-32-0002, JSAE 20084702, Lubricant Base Oil Effects on Motorcycle Engine Power
[9] Idemitsu Tribo Review, No35,P13
[10] SAE961217 Study on 4 stroke Engine Oils for Motorchcles; Engine Characteristics and New specification Oils,p8
[11]SAE961217 Study on 4 stroke Engine Oils for Motorchcles; Engine Characteristics and New specification Oils,p16
[12]Idemitsu Tribo Review, No35,P14
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